ライフスタイル

柔軟な受け身が出来てこそ幸せがある

この記事は約 4 分で読めます。
871 Views
この記事のタイトルとURLをコピーする
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

不幸とは思い込みに過ぎない

「こんなはずじゃない」とか「何で自分が・・」とか理不尽な目に遭っている人は毎日、続々と現れているのはニュースを見ての通りです。
それほどではなくても、大なり小なり自分も悲しくつらい思いをした経験もあるかもしれません。

しかし後になって思えばそうでも無かったと笑って話せる事もあります。
おかげで自分に新たな価値観が生まれて今では感謝していたりしている事だってあるのです。

そんなものですから最初から不憫な境遇に陥ったなどとは思っても意味が無いのです。
後ろ向きになってそう思わず、単にチャンスを呼び込むべくピンチが到来したのだと思えば何もつらくはありません。

課題を自分で重くしない

課題が山積みになっていてどこからどう手を付けていいのかわからない、と困っているばかりの人がいます。
そうして課題を余計なものとして持ち上げているうちは、それはどこをどうしても重たくしか感じられません。

そうではなくそこにあるべきものとして自分に取り込んでしまえば、その重さなど普通に心地良い重さとさえ感じられるのです。
こうなれば過去の失敗、現在の悩み、未来の不安など何があっても全ての課題が解決に向かいやすくなると言えます。

子どもに理論は通じない

親や先生がちゃんとした事を言っていようがいまいが、子どもは興味がありません。
「これはこうするべきもの」「これが正しい」と押し付けられてもそれが確かに正しくても納得などしてはくれません。

それより自分のした事を褒めてくれると、それがしっかり記憶に刻まれてそれが正しい行動だったと認識してくれるのです。
褒める事は子どもにとって貴重な価値観が誕生する瞬間と言えるのです。

正義感などはトラブルの種

正しい事だからと行動を押し付けられてもわからない人にはわからないものです。
理論立てて正論ぶって演説をされても世の中には反対する人が必ずいます。

どちらもいたって真面目に正義感、使命感などをぶつけ合って相手を曲げて良い方向に向かわせようとしているのかもしれません。
ただ、これが争いに発展しやがて戦争へと突き進むきっかけになるのも事実です。

それよりお互いが好きな事をしていた方が正しい方向に向かえたりもします。

人を憎んでも自分の為にはならない

一般に世間の人が言うところの幸せが全ての人にとって幸せだとは限りません。
逆に不幸だとされるものを全ての人が不幸と思ってもいないのです。

幸せとか不幸せとかの区別はそれを受け取る側の思い込みでしかないのです。
神にはそれがわかっていますので、決して誰かを狙い撃ちに不幸にさせようなどとはしていないのです。

全てが神がくれた事と感謝して受け止めればどんな事も幸せと感じられるようにもなるものなのです。
でも神のおぼしめしだとか言われても俄かに納得のし難い場合もあるでしょう。

中には他人の故意や過失によって被る損害もあるかもしれません。
そこで相手を恨んで攻撃を仕掛けようとしても自分の不幸さを確かめるだけになります。

単に自分の切ない思いが自分の首を絞めているだけだと言う事に気づくべきでしょう。

経営はお客さんへのエンターテイメント

傾きかけた店の経営を立て直す為に、学生の頃、学んだ経営学をもう一度紐解いてどこをどうするべきなのか、数字とにらめっこしても埒が明かないものです。
基本からしっかりやり直さなければと真摯に経営に向き合うのはやぶさかではありません。

ですがそれよりも大切なのは、お客さんは何が楽しいかを追求する事です。
そしてお客さんが喜ぶ姿を想像して自分が楽しんでいれば、その方向に店は歩んでくれるものです。
お客さんは楽しいところにお金を落としてくれますので、儲けは自然に付いてくるのです。

コストや損益分岐線などの経営理論に頭を悩ますよりは、楽しい事ばかりを夢中になって考えて実行に移せる人こそ経営上手な人と言えてしまうのです。

  • 気に入ったらブックマーク!はてブする このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!Twitterを
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

コメントを残す

*