成功マインド

会社に「使い捨て」されてない?「遊び」の重要さを知ろう!

この記事は約 4 分で読めます。
1,560 Views
この記事のタイトルとURLをコピーする
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

我慢を強いてきた日本の土壌

目的設定を立てず、盲目的に「努力」をして、自らを消耗させるだけさせてしまう人がいます。
そんな人が増えたのは、何が原因なのでしょうか。

それは、現代までに至る日本の歴史が関係しています。
戦時中は国が国民に圧政をしき、我慢という努力をさせて他国と戦っていました。

日本には「努力をすれば神秘的な力が助けてくれる」というような考え方があったのは事実です。
しかしこれは、目的設定にあった努力とは言えません。

気合だけで何かの成果を達成しようとすることは不可能だということを知らなかったからこそ、日本は負けてしまいました。

 

「使い捨て」しようとする人たち

昔の話だけではなく、現代でも「ブラック企業」などにこの考え方は受け継がれています。
大きな目的設定があり、それに対する着実な手段を考えようともせず、ひたすら我慢の繰り返しによって勝負をかけていくのは、身を消耗させるだけで終わってしまう場合が多いです。

人はこうした特殊な環境下に置かれると、次第に冷静に物事を考えることができなくなり、疑問を抱くために必要な分析力も失われていきます。
本当に企業の成長を思うのなら、人材を大切に育て、長い目でバリバリ働けるような人にすることや、そのシステムを組み上げることが重要なはずですが、「神秘的な力」を期待しているがためにこうしたことが起きるのです。

 

「遊び」こそが人間らしい豊かさをもたらす

遡れば日本には「遊び」が重要な文化として位置づけられていました。
しかし日本は幾度かの戦争で勝利してしまい、その中で「がむしゃらに努力することがいいことである」という風土が培われていきました。

豊穣な人生を営み、本当の意味で「努力」していくには「遊び」という心の余裕が必要不可欠です。
一般的に遊んでいる人はだらしがない、しまりのない人だと思われることが多いですが、それは明治以降に生まれた考え方です。

「遊び」は高度な知性を持った動物にしかできない知的な行いなのです。
これだけの多種多様な遊びを生み出した動物は人間以外にはいません。

そう考えれば、生きるのに必要な動物的な行動からはみ出た「遊び」は、人が人らしく生きていく上で重要なものだと考えられるでしょう。

たとえば、「必要ではないもの」としての広義の「遊び」として、哲学などもあげられます。
哲学はただ生きる上では不要なものですが、物事を深く考え、人間らしく生きていくための土壌を作るには必要です。

もちろん、「頑張らなくていい」というわけではありません。
ただ、漠然と「努力」をしているだけでは脳に与えられる刺激が偏ってしまうため、ある意味では脳の成長にとって甘やかしてしまっていることになるというわけです。

物事に真剣に取り組むためにも、「遊び」によって脳に刺激を与えてやる必要があります。

 

ニートが社会の多様性を担保している?

現代では、ニートと呼ばれる人たちが増えてきました。
一般的には「働かない人」を指している言葉ですが、正確に言うと、ニートとは「雇われていない人」のことです。

否定的なニュアンスで使われることの多い言葉ですが、彼らは人の豊かさを象徴する貴重な資源でもあります。
ニートや働いていない人がいることで、会社勤めだけが生きる手段ではないということを知ることができますし、人の多様性は担保されます。

全員が全員、同じ方向を見て行列を組んで歩く姿は、人として決して健全だとは言えないのです。
また、会社に雇われるということは、ある程度の自由を差し出すということにもなります。

それが良いか悪いかは置いておいて、そのことが嫌だと感じる人が、勤め人にならないという生き方を自ら選んでいるということです。

 

 

 

  • 気に入ったらブックマーク!はてブする このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!Twitterを
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

コメントを残す

*